キルトを目にして感じる魅力は、吸い寄せられるような美しさと、圧倒的なパワー。近くで見たいのだけど、どこか距離をとらないといけないような、圧のようなものをずっと感じていた。
それはやはり1700年半ば頃からの、布と人々の長い歴史があるからであった。高価な布がイギリスから持ち込まれた1750年頃は裕福な家庭の女性が作り、南部では白人女性が黒人女性に作らせ、産業革命以降はコットンの普及と共に一般家庭で作られるようになった。年代によって作られるキルトの背景、目的は大きく異なったのだ。
また、キルトと共に生活を続けるアーミッシュ、メノナイト、ブレザレンが作るものは独特で、厳格なルールが存在する。宗教の自由を求めて北米に移住した1700年頃から農耕や牧畜で自給自足を続ける彼らは、宗教上の理由から限られた色数の濃い無地のみの衣服を身に着けており、その服をリサイクルして作られたキルトは必然的にそのような色合いのものとなった。制限がある中で作り続けられるものには、自由の中では作り出せない圧倒的な強さを感じざるを得ない。
ただ、いつの時代もそのひと針ひと針には想いや祈りがこめられている。それが例え『売るためのキルト』であったとしても。
家族への愛や自然への慈しみ、奴隷開放や被災者の救済、その想いを想像しながら、マサチューセッツ、ペンシルベニア、ミネソタへと空想の旅にでている。
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