今年の夏、我が家に1組のカブトムシカップルがやってきた。自然にやってきたという訳ではなく、たくさん飼っておられるところから頂いたのだが、ダンナを除いて私も子どもたちもカブトムシの飼育は初挑戦。カブトムシはスイカが好きなんやっけ!?みたいな低次元のところから始まり、ひたすら検索を繰り返して飼育環境を整えていった。
調べれば調べるほど、自分達の思い込みでスタートしなくて良かったなというくらい、想像していたものとは違った飼育スペースが出来上がった。(とはいえ飼い方は千差万別で、どれがベストなのかは結局わからないのだが…。)
2匹との生活がスタートし、子どもたちはさぞかし興味を持つだろうと思いきや、名前をつけることに盛り上がったくらいで(カブカブとカブコというストレートな名前)、実際愛着を持って世話にのめり込んでいくのは親の方だった。昼間は土に潜っているか1日に何度もカゴの外から覗き、夜はお腹すいたかー?と喋りながら餌を置いてはちゃんと食べているかまた何度も覗きにいく(触りすぎはストレスになるらしいのでグッと我慢…)。室温も暑くならないように気をつけ、動きすぎると死んでしまうという専門家の記事を読んでからは、ひっくり返ってジタバタしてる度にこりゃいかんと元に戻してやる日々。カブトムシは人になつく生物ではないとわかってはいても、2匹のことが気になって仕方がない。我が子たちが赤ちゃんの時は、こんなに様子を気にしてなかったよなあと思い返す。
そんな割と放任で育った子供たちも小学2年生と4年生になり、身の回りのことを手伝うことはほとんどなくなった。同時に妊娠によって私自身がこれまでのように動くことができなくなり(動くのだが、その後の動悸やお腹の張りで休憩せざるを得なくなる)、家事や仕事をどうしたもんかと考えていた時に目についたのが、斉須政雄さんの『調理場という戦場』という本だった。「コート・ドール」のオーナーシェフ斉須さんの、料理人としての経験からくる仕事論が書かれている。
自分が食の仕事に携わる場面で、誰かの指揮のもと、チームとして仕事をすることはそこまで苦ではなかったし、チームに属していることに楽しさを感じることもあった。しかしいざ自分がその指揮をとる立場になると、どこか居心地の悪さを感じた。全体を見て、誰かに指示を出して動いてもらうということが苦手だったし、いろんな思いつくことを、人に相談したり依頼したりするより前に、自分で動いてしまっていた。いいリーダーにはなれないなと、つくづく感じた。仕事以外の日常生活の中でも、人に相談して決めるということよりも、自分で判断して行動し、周りには事後報告ということが多かったので(自分の中で決めたことに対する他の人の意見は聞き入れられなかった。頑固者。)、人に任せるということに慣れていなかったのもある。何より、人を信じるという面に関して欠如している部分が多かったのだろう。
結婚や出産を機にようやく、自分1人の力で全てを行える訳ではないし、すでにたくさん分担してもらっているということに気づくことができた。(ダンナという、自分とは異なる考えをもっている人間の影響は大きかった。)その気づきは感謝になり、そして信頼に変わることで、身近な人と仕事を分担することへの抵抗感は薄れていった。とはいえまだ“身近な人”の範囲を少しずつしか広げられないので、今は家事のあらゆることや仕事の一部を子供たちに協力してもらい、“このパートはあなたに任せる。失敗しても私が責任を取る”と見守ることのトレーニングを重ねている。そうやって回数を重ねるうちに子供たちにも任せられることの喜びや、自分なりの工夫を取り入れてみるといった挑戦の気持ちが芽生えていることに気づき、結果として私1人で行っていた時よりも良いものが出来上がったりしているので驚く。ただやはり、指示を出すだけのリーダーではいけないし、見守りながらも常に別のことで動いているのが私の理想のリーダー像。斉須さんの仕事論を読んでも、そうだよなあと同感する部分が多かったので、その理想は持ち続けていたい。
焼き菓子屋を開いた時は自分が思い描く空間やお客さんとの関係性もあって、大きなチームでの経営は考えていなかったのだが、いつかチームを持ってビジネスをしたいなと今は思う。(今の仕事も結局チームは組まずにしているのだけれど。)そのためにまずは家族というチームを厚いものにしていかなくては。
もちろん、カブカブ・カブコペアも、癒し担当の一員として。
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