私は、食事をする時間が非常に短い。誰かと食べているとまだマシなのだけれど、1人で食べる時は主食、副菜、汁物と結構ボリュームがあっても5分で食べ終えてしまう。菓子屋時代のクセが抜けず、食べるとなるととにかく次から次に口の中に放り込んでしまう(味はしっかり感じている)。あの頃は仕込みと営業に追われ、何か食べれたらいい方。食べるとしてもお客さんが来るかもと焦りながら嚥下を繰り返し、とりあえず胃に入ればOKだった。今はあの頃と違い、食事をする時間が十分に取れる状況にあるので、全く焦る必要はない。それなのにテンポよく口に運んでは素早く飲み込み、全部の皿が空になったのを見ると、まだ食べ足りない気がして冷蔵庫を開けてしまう。そして追加でいくつかのものを食べ、結果喉元まで食べ物が詰まっているような感覚に襲われて気分が悪くなる。後悔の日々。
どうやら人間が満腹を感じられるのは、食事をしてからおよそ20分後であるらしく、それを知った時はガッテンガッテンとスッキリした。だからあれだけの量を食べ終わってもまだお腹が空いていたのか。そりゃ5分じゃ無理だ。中学生時代、ちっちゃなお弁当を給食の時間いっぱいかけて食べていたあの頃を思い出して、頑張ろう20分。
ある日観たEテレの番組で、漫画家(画家、文筆家、、、)のヤマザキマリさんが「人はなぜ絵を描くのか?」という子どもからの問いに答えられていた。その答えは、
人は、お腹がいっぱいになるだけでは満たされない。
お腹がいっぱいになるだけでは頭が、心が栄養失調になってしまう。
頭や心を満たすために、人々は絵を描いてきたんじゃないか。
そういった内容だった。この答えを聞いて瞬時に思い出したのが、漫画「BLUE GIANT」に登場する高校の音楽の先生、黒木先生の言葉。
音楽がなくても生活できる。
でもね、私達には心がある。
心にも食べ物が必要なのね、きっと。
お二人とも、絵や音楽は、人間が食べることに必死だったうんと昔の頃から存在しているということを言われていた。肉体の飢えを満たすだけでも相当大変なのに、精神までも満たそうとしていたなんて。いや、肉体の飢えが満たされないから、心を満たそうとしたのか。どちらにせよ、それ程、肉体と精神の「生」は密接なのだと改めて感じた。
神様との交流のために生まれた芸能や、文学も人間を楽しませ、心を満たしてくれる。心を満たしてくれるということは、肉体の生を保ってくれるということ。芸術の領域において作品を生み出してくださる方々は、この世に存在する人々の生を保ってくれる存在。もっともっと敬意を払うべきではないだろうか。少なくとも現在の日本における社会的地位ではいけない。お偉いさんだって、音楽や漫画、絵画やダンス、小説に全く心を動かされずに生きてきた人なんていないはず。たった一瞬でも、それらのおかげで生かされている。世界的に有名とか、賞を受賞しているとか、そんなこと関係なく、尊敬されるべき方々。SNSが開いてくれた世界への扉。もっともっと大きくなれと、私はそう思う。
何もせず時間を過ごしていると感じる空腹感。でも映画を観たり、漫画を読んだり、音楽を聴いたりして楽しんだ後は空腹を感じない。と同時に、その前に感じていた空腹は虚構のものだったのか?と気づく。肉体が相当な飢餓状態でなければ、心の満腹感で肉体の空腹はカバーできるんだ。すごいなあ、人間って。
さ、次は何の映画を観ようか。
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