先日、伊豆へ訪れた。静岡県には何度か来た事はあったのだけれど、伊豆半島まで足を伸ばしたのは初めてだった。きっかけは、テレビで放送されていた道の駅の海鮮丼。海鮮好きの息子もその映像に興奮していたことを思い出し、弾丸で出発した。なんとも模範的な視聴者だなあ。
普段海のそばに住んでいるのに、海に面する場所にはなぜか惹かれてしまう。もう今は深くまで潜れなくなったけれど各地の海に入りたいと思うし、どんな魚がいるのかなと思うと(食べる方で)ワクワクする。何より海が広がる景色を見ながらその土地の匂いを吸い込んでぼーっとしたい。これはもう、何にも変えられない貴重な時間だし、旅をする重要な目的の一つ。
石垣島を旅していた20代の頃も、いろんなポイントで潜っては浜に上がってぼーっとし、パラパラと本を読んだらまた移動して潜ってぼーっとして…という日々を過ごしていた。フィンとシュノーケルだけの身軽な素潜りなので、本当にぷらぷらしていたし、周りにぷらぷらしている人も多かった。今日何をするか、何を食べるかということだけを考えて生活する日々。今思えばなんて贅沢なんだろう。でもきっと旅ってそんなもんで、その経験が血肉になる。子供たちもどんどん旅に出てほしいなと思う。
到着した伊豆の海は想像を遥かに超える美しさで、漫画のように息をのんだ。驚くほどの透明度。泳ぐ魚も鮮やかで、屋久島で潜った海を思い出す。1泊2日のタイトな滞在だったので、熱海から河津あたりの東伊豆エリアしか周れなかったのだが、山と海に挟まれた道を移動する間も頭の中が空っぽになる程海の水平線を見ていた。(運転ありがとう。)出発前日まで辛かったつわりも偏頭痛もメガネを引っ掛けている耳の裏付近の痛みもまるで感じない。なんだこの開放感。海を見て風を感じているだけで、体に詰まっている内臓が全部なくなり体のラインだけ残っている感覚になる。
山の緑も美しい季節。車の窓全開のまま、腹の底まで空気を吸い込み先へと進んだ。
楽しみにしていた、伊豆で獲れる魚も絶品だった。初めて食べた「まめじ」(クロマグロの幼魚)、脂ののったさわら、プリップリのマンボウ、とけるような生しらすなどなど。金目鯛を食べれなかったことが唯一の心残りだが、新鮮な魚介類の味わいは数日たった今でも鮮明に思い出せ、口の中からじわじわと幸福感が溢れ出す。数ヶ月前から毎晩飲んでいたお酒をやめていて、他の人が飲んでいる姿を見るとくーっと辛くなることもあったのだが、その分食べるものの味を体がダイレクトに感じるようになり、またその時の感動も長続きするようになっていた。食べることが大好きな私にとってはこれはとても幸せなことで、この感覚があるから断酒も続けられるんだろうなと思う。
全身で海を楽しみながらも、この海の続きのどこかで救助の手を待っている人がいるのだなと思うと途端に胸が押し潰されそうになる。北海道の海を楽しみに、雄大な自然を肌で感じに、自分と同じように知らない土地へ訪れる高揚感を持って船に乗られたのではないだろうか。どうしたって客の立場であの事故は予見できない。人を楽しませる仕事は、人の命を守れる十分な準備や訓練があって成り立つもの。1日も早く、乗船されていた全ての方が救助されますように。信じて願うしかない。
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